戦後政治と日本国憲法 | |
概要 |
マッカーサー・ノートにおける戦争放棄とは、自衛戦争も含めた戦争の放棄を意味するものであったが、その後、総司令部民政局によって、自衛戦争を許容する趣旨に直され、衆議院の委員会審議で、9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が加えられた(後に、芦田均衆院憲法改正特別委員会委員長は、この修正は、自衛戦争とそのための軍備を許容する趣旨であると説明している)。 朝鮮戦争が勃発した1950(昭和25)年8月、警察予備隊が発足し、1952年8月に保安隊に、さらに1954年7月に自衛隊に改組された。自衛隊は、1992(平成4)年6月に制定されたPKO協力法 に基づき、国際連合の平和維持活動を海外で展開し(ただし、平和維持軍へは参加しない)、また、1999(平成11)年5月に制定された周辺事態法 により、わが国の領土・領海外の極東で、わが国の防衛とは直接関係しない米国の軍事行動にも協力することになっている。なお、2001年のアフガン戦争と2003年のイラク戦争の際には、国連決議を踏まえての国際協力という形で、テロ対策特別措置法(2001(平成13)年制定) とイラク支援特別措置法(2003(平成15)年制定) に基づき、自衛隊を海外に派遣した。 1951(昭和26)年9月8日、対日講和条約が締結され、同日、日米安全保障条約 が締結された。その後、1960(昭和35)年に改定された安全保障条約 は、わが国への武力攻撃があった場合、日米両国が共同対処を行うこと(5条)や、わが国の安全及び極東における国際の平和と安全のため、米軍がわが国における施設・区域の使用を認めること(6条)などを規定する。 1955(昭和30)年、自由民主党と日本社会党が発足し、それ以降、自民党が単独で政権を掌握し、一方、社会党は国会の3分の1の議席を確保しようとした。1993(平成3)年、自民党内の分裂により、非自民連立政権が発足し、いわゆる55年体制は実質的に崩壊した。しかし、連立から社会党が離脱し、翌年6月、自・社・さ連立政権が発足した(「さ」は、「新党さきがけ」という政党のことである)。社会党の委員長であった村山富市内閣総理大臣は、自衛隊を合憲と判断し、自衛隊のPKO派遣を認めた。その後、政権は、自民単独、自・自、自・自・公、自・公・保、自・公と続く。社会党は、社会民主党と改称し、支持者・団体と所属議員の多くは民主党に移った。 |
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対象/前提 | 初めて日本国憲法の解釈論を学ぶ全学部の1年生を対象にします。入門的な講義ですので、受講にあたっての前提要件はありません。日本国憲法の解釈論についての専門的な講義ではありません。 |
キーワード | 日本国憲法,憲法史,芦田修正,自衛隊,戦争,平和,安全保障,日米安全保障条約,55年体制,PKO |
作成者 | 信州大学 全学教育機構 柳瀬昇 |
協力者 | |
親教材 | 日本国憲法の生成と展開 |
更新日 | 2009年1月7日 |
注意事項 | |
本教材は、平成18年度『現代的教育ニーズ取組支援プログラム』「教育の質保証プロジェクト」の支援により開発されたものです。 |
学習の留意点 |
初めて日本国憲法の解釈論を学ぶ全学部の1年生を対象とする入門的な講義です。日本国憲法の解釈論についての専門的な講義ではありません。日本国憲法の解釈論の基礎を約30時間程度で学ぶためのコースですので、解釈論上の重要論点について深く立ち入ることはできません。 日本国憲法その他法令を引用することが多いので、できるだけ新しい六法(法令集)を手もとに置き、必要に応じて、参照してください。 |
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教材群 |